Translation Workshop

ふるさとに三日となりぬ葛の花
furusato ni mikka to narinu kudzu no hana

Three days have passed
At my dear old father’s house —
Kudzu vine blooms.

* kudzu vine: a climbing summer plant which is often found growing quickly along the Japanese riverbanks and fields with reddish-purple flowers

Hope any of you will put in some suggestions/corrections for my English version!

8 Responses to “Translation Workshop”

  1. 葛は英語でarrowrootです。vineはたぶん削った方がいい。お父さんがわざわざ作っている物ではありません。変わりにrampantとかwildを名詞の前に?

  2. ご指摘、ありがとう、Stephen。なかでも、vineとすると作物を示唆するということ、思ってもいなかった添削で、勉強になりました。日本人にとって英語は死ぬまで学ぶことばかりです。Toshi

  3. ‘dear old father’のcontextで’vine’の連想はやはり作物です。そのcontextではなければ、’vine=作物’ではない可能性が生まれます。

  4. Hisashi Miyazaki Says:

    いい句ですね。帰郷して3日。ふと気がつくと葛が生い茂り、そこ・ここに小さなピンクの花をつけていた。この3日はいろいろに解釈できます。のんびりふるさとを楽しんでいたが、ふと我に返った、orどなたかが逝去されての3日め、or何かの用事で忙しかった3日間。季語からは、最初の解釈が嬉しいですが、秋ですから他の含蓄があります。そこがいいです。
    日本語原句では翻訳句のfatherはありません。親父は年老いてしまったが、元気だ。ということであるのであれば、上記最初の解釈ですね。このように限定されると、単なる写生句で、原句にあった情緒が希薄になるような気がします。翻訳は難しい。日本語句の眼目は「三日」と思いますが、如何でしょうか。

  5. ひさしさん、的確なご評言ありがとう。そうです、最初の解釈どおりです。秋の季語の含蓄をいみじくも指摘してくださっていますが、それで私自身の気持ちをもう一度辿ってみますと、「もう一日したらまた都会に戻らなければならない」というさびしさと秋のさびしさを重ね合わせようとしたような気がします。批評は作者と育てるということ、あらためて実感しました。
    もう1点、英訳の方の’father’について。これによって原句の情緒が限定されるというご指摘、まったくそのとおりですね。句の重点があいまいになって、「三日」という眼目が失効してしまっています。翻訳はほんとうにむずかしいですね。
    念のために、Stephenさんの添削も含めて、作り直してみましたが、いかがでしょうか。
    Three days have passed
    In my dear old home town —
    Wild arrowroot blooms.

  6. Hisashi Miyazaki Says:

    御訳句、とてもよく原句の気持ちが乗っていると思うのは、私が日本人だからかもしれません。コメントにお書きになった気持ちとしては夏、秋の季語「夏の果て、休暇明け」に近いですね。それを葛の花に託されたのは素晴らしい。そうすると、3日はあまり意味がなくなって、訳句1行目「もう一日したらまた都会に戻らなければならない」→/ふるさとに居られるのは、もう1日しかない/を英句の眼目(例えば、最後の行で)に英訳されたら英語的にすっきりするのではと思ったりします。
    岡目八目でえらそうなことを申していますが、excuse:私の個人的考えでは、日英、英日問わず、作者の自句自訳がベストと思っています。日英、英日問わず原句・訳句にgapがあってぶっ飛んでいてもspiritのどこかがつながっていたらいいと思います。その方が面白いかもしれない。ですので、fatherが出てきてもOK、3日が消えていても基本的にOKです。ちなみに、私の好きな自句自訳の例は『Seasons of Gods』p.66、83番句です。

  7. 仰るとおりです、ひさしさん。「日英、英日問わず原句・訳句にgapがあってぶっ飛んでいてもspiritのどこかがつながっていたらいいと思います。その方が面白いかもしれない。」これって、大賛成です。
    文芸における翻訳不可能論というのがありますが、原詩の情緒をしっかりつかまえておりさえすれば、gapは一定認められると思います。その意味で、詩の翻訳は新たな創作であると言うことができますね。今後も自作他作を問わず、翻訳に挑戦してみたいと思います。

  8. Sorry, my japanese is not that good. hope i don’t repeat much of what was offered above.

    For me, there appears to be three significant parts in this poem.

    line #1: three days /passed

    line #2: dear old father’s home

    line #3: kudzu vine blooms

    my mind kept trying work on the significance of these parts, particularly if there was a play on the words; passed/ and dear old.

    therefore, my first reaction is that perhaps the father has passed away (recently/ a western viewpoint?, or is this an obon type pilgramage/ a japenese viewpoint?)

    in any event, the explicit sentiment expressed in line #2 (dear old father) seems to take away from a sharper contrast that could be made against the final line (#3). with that in mind, i tend to feel that the real feeling (or object) of the poem may lie within blooming kudzu vine?

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